はじめに、盧京姫氏の講演があり、まず、日本では通常「古文辞派」や「格調派」などと言いあらわされている前・後七子の影響を受けた人々(日本では徂徠一派と同義で使用されることが多い)の呼称について、韓国では、必ずしもグループをなしたいたわけではなく、時期や身分なども違っていたことが説明され、これらの人々の総称については、「擬古文派」あるいは「秦漢古文派」など、文脈や背景によって複数の用語を使用していく旨が説明されました。
次に、朝鮮王朝の「擬古文派」または「秦漢古文派」と言い得る代表的な人物として、許筠(ホ・ギュン、1569~1618)、申維翰(シン・ユハン、1681~1752)、李彦瑱(イ・ウォンジン、1740~1766)の3名について説明がなされ、これらの人物の身分(両班、中人の別)などが大きく違っていることなどが解説されました。なお、許筠は燕行使に、申維翰及び李彦瑱は使行(朝鮮通信使)に参加した人物であり、とくに近年の韓国の研究界では、李彦瑱への関心が高まっているとのことです。
このほか、盧京姫氏は、韓国(朝鮮王朝)と近世日本では、明の前・後七子受容の時期の違いが持つ意味(朝鮮は17世紀からに開始され、日本は18世紀の徂徠学派が中心である)、さらには、朝鮮と日本との間の、前・後七子の受容の実質的内容の差異(①「文必秦漢、詩必盛唐」という、同じ前後七子の文学的主張を受け入れながらも、朝鮮の場合、作家の個性と内面の表現をさらに強調するのに対し、日本の場合、作品の格調と形式、文辞の再現を重視している、②前・後七子のうち、日本では李攀龍へも相当の関心が払われるのに対し、朝鮮では、主として、王世貞について興味が持たれている)などについても考察を及ぼされ、今後、研究において、朝鮮通信使における両国の古文辞派の接触を検討する際に、注意を払うべきであることを指摘されました。
この講演を受けて、ディスカッサントの澤井啓一氏、高山大毅氏、藍弘岳氏より質問やコメントがありました。とくに議論が集中したのは、近年の韓国における研究で関心が持たれている徂徠の「贈朝鮮使序」(『徂徠集稿』、慶應大学図書館蔵、平石直昭氏『荻生徂徠年譜考』平凡社、1984年、118頁に一部引用があり、言及されています)という文章です。これは、版本の『徂徠集』には掲載されていない文章(編集段階で削除された)であり、享保4年(1719)の朝鮮通信使へあてた内容を持ちます。この文章をどのように評価するのか、すなわち、①これは実際に徂徠が朝鮮通信使に会ったことを意味するものなのか、そうではなく事前に準備して書かれたものと考えた方がよいのか、②徂徠の本心が表されたものか、あるいは外交儀礼的な内容を持つものなのか(前掲平石氏『年譜考』においては、「多分に外交辞令の気味がある」と評価されています)などの点について、意見の応酬がありました。
全体として、韓国と日本の思想と文学の研究の流れに大きな知見をもたらす、有意義な集会であったと思います。論文などが国際的に流通するだけではなく、実際に研究者同士が会うことによって、考察に大きな展開がなされるということを実感いたしました。今後も、朝鮮、日本それぞれの漢文資料をともに読解するなどの行為を通じて、研究の進展を図っていきたいと考えています。
→研究集会プログラム・ポスター
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