合山林太郎氏は、これまでの日本漢文学プロジェクトの成果について報告するとともに、大衆化、日本化、和漢などの日本漢文学を通史的な視点から見通すためのいくつかの視点について考察した。
劉雨珍氏は、明治初年に、宮島誠一郎らと黄遵憲らとの間で交わされた漢文の筆談について、場の状況、人物たちの性格、筆談の内容を踏まえながら詳細に分析するとともに、日中文人の間で交わされた唱和詩が、刊行物収録時などに改稿された事象などを取り上げ、筆談資料の取扱いの難しさについて述べた。
エドアルド・ジェルリーニ氏は、近読(狭い範囲のテキストを詳細に読むこと)とともに遠読(翻訳や注釈などを参照しつつ広い範囲のテキストを読むこと)を行う重要性について指摘しつつ、道真の詩を中世ヨーロッパの詩人と比較し、詩文の儀礼性などの点で同質性が見出される一方、詩の位置付けなどの点では差異が見られると主張した。
葛継勇氏は、9世紀の唐への留学僧円載について、綿密な史実との考証や送別詩の詳細な分析を行い、先行の研究とは異なる円載像を見出し得ると論じた。たとえば、真摯に天台を学ぼうとする僧侶の姿が看取されると述べた。
ディスカッサントの滝川幸司氏をはじめ、多くの参加者から質問がなされ、中国語・日本語文芸の両方の性格を持つ日本漢文学の分析手法、漢詩をめぐる中日での評価基準や考え方の違い、詩入都々逸や詩吟・剣舞などの漢詩関係の大衆文化のありよう、日本漢詩文の英語圏における発信の方法、漢詩の表現の持つ類型性とそれを踏まえた読解の重要性、「文学」的な評価軸から離れ、学際的な視点を導入して漢詩文を論じてゆくことの必要性などが議論された。
それぞれの報告、そして質問の内容や観点は多様であったが、日本漢詩文の歴史や日中漢文学交流史の中に、時代を超えて存在する問題や有効な考察の型があることも感じることができた。あり得べき漢文学研究とは何かということを考える上で、きわめて有意義な2日間であった。
→研究集会プログラム・ポスター
→国際日本文化研究センター大衆文化プロジェクトのレポート(呉座勇一氏ご執筆)
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