公開シンポジウム
「文雅の記憶―幕末・明治期文人と時代・政治・地域文化―」
2016年11月19日(土)14:00~17:00
上智大学12号館203教室
http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/access/map/map_yotsuya
(上のリンクの12番の建物です。なお、当日北門は閉まっておりますので、正門からお入りください。)
第1部 研究発表
「幕末・明治期文人の諸相」14:00~15:30
佐藤温(日本大学講師)
「幕末の変革期における文人のあり方―大橋訥庵と菊池・大橋家の人々に着目して―」
福井辰彦(上智大学准教授)
中野未緒・高橋佳菜子(上智大学学生)
「明治初年の菊池三渓」
新稲法子(佛教大学非常勤講師)
「宇田栗園―乙訓漢詩壇の父―」
長尾直茂(上智大学教授)
「太宰府に遺る吉嗣拝山関係資料について」
第2部 討議
「文雅の記憶をめぐって」15:50~17:00
主催:上智大学文学部国文学科、日本漢文学プロジェクト共同研究チーム
共催:国文学研究資料館
連絡先:上智大学福井辰彦研究室 ℡:03-3238-3977 mail:thukui*sophia.ac.jp *=@
開催趣旨
幕末・明治期は日本漢文学が質量ともにもっとも充実した時代だったとも言われる。漢詩文の創作・享受が、地域的にも階層的にも広く普及し、多くの学者・文人・詩人たちが、全国各地で多様な活動を繰り広げた時代。しかし現在、その「文雅の記憶」は、ごく一部の例外を除けば、すっかり忘れ去られていると言ってよい。本シンポジウムでは、当時の文人たちの事績・文業を、自筆稿や書簡など一次資料を駆使しながら掘り起こすこと、いわば失われた「文雅の記憶」を思い起こすことをテーマとする。
第一部では、幕末・明治期の文人に関する最新の研究成果について発表を行う。思想や政治との関係、激変する時代との向き合い方、地域文化における役割・意義、といった切り口から、この時期の漢文学の多様なあり方を具体的に跡づけてゆく。
第二部では、第一部の発表を踏まえつつ、いま「文雅の記憶」を想起することの意味や可能性について、来場者とともに討議したい。いま学問や教育には「目に見える〈成果〉を挙げられるのか」「〈国際的〉に意味があるのか」「社会にとって〈有用〉か」といった問が突きつけられている。そのような風潮の中で、本シンポジウムが対象とするような文人研究が正当な評価を得ることは困難であろう。忘れられた文人たちの研究に、国際的・社会的な意義を認める人は少ないであろうし、成果を得るまでには相当な手間と時間を要する。そんないま、敢えて「文雅の記憶」の重要性を論ずることは、成果主義・国際化・功利主義といった〈はやりことば〉を相対化するよすがにもなるのではないか。そうした文脈を意識しつつ、議論を進めてゆきたい。
なお、本シンポジウムにはもう一つ、学生に研究の現場を体感してもらうという教育的な目的がある。第一部の発表者に上智大学文学部国文学科の学生2名が含まれているのはそのためである。参加者各位の暖かいご指導をお願い申し上げる。
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